アメリカとヨーロッパの間に感じる対極関係

映画の作りと国民背番号制

新興の地に人が集まり経済規模が大きいが歴史が浅く他国の侵入の経験がないアメリカでは、社会効率を優先し社会保障番号という個人を特定する国民背番号制を既に導入していますが、古い伝統と歴史の中で個人主義に基づく自由意思を尊重し度々の戦争で他国の侵入を経験したヨーロッパ諸国では、そのような動きは鈍いのが現状です。

 

導入に最も否定的なフランスでは1942年のドイツ軍のパリ占領時、フランス警察がユダヤ人13千人を一斉検挙しアウシュビッツ収容所に送った「ヴェルディブ事件」(1995年:シラク大統領がフランス政府の加担を戦後初めて公式に認め謝罪した)をはじめドイツ軍占領中にはcollaborateur=対独「協力者」が現われドイツ軍の威を借りて同朋人を迫害したことが数多くのフランス映画に登場します。

 

このcollaborateur=対独「協力者」の代表がヴィシー政権と呼ばれる当時のフランス政府なので、政府といえども国民を裏切り、国民情報を敵に提供した苦い経験を忘れないように現在に至る迄数多くの映画が作られ、我々も映画を通じてフランス人はいかにこのことを国民共通の経験として重視しているのか分かります。

 

この点は映画の作りでも大きな違いを感じる面があり、両者(特にヨーロッパ側)は意識してあえて同じテーマを対極的内容で映画を作っているのでないかと感じます。アメリカ映画は総じて単純明快ですっきりしたストーリーにできていますが、ヨーロッパ映画は「そんな単純ではない」とあえて対極を示しているように思います。

次表をご参照ください。 他にもまだまだあります。

 

 

アメリカ映画

ヨーロッパ映画

共通項

1

ウェストサイドストーリー:1961

シェルブールの雨傘:1963

若者ミュージカル映画

2

ローマの休日:1953

甘い生活:1960

ローマの新聞記者と女性

3

陽のあたる場所:1951

男と女:1966

男女関係1

4

昼下がりの情事:1957

ランジェ公爵夫人:2006

  "  2

5

大脱走:1963

抵抗-死刑囚の手記:1956

捕虜収容所と脱獄

6

クレイマー・クレイマー:1979

春のソナタ:1989

両親の離婚と子供

 

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コメント: 1
  • #1

    リトラル (日曜日, 10 2月 2013 18:11)

    3年前[シェルブールの雨傘]がデジタル・リマスターで再上映された時、これは[ウェストサイド]に対抗して監督のジャック・ウェッブがミシェル・ルグランの音楽で作ったと実感しました。 特にラストの大雪のXマスのガソリンスタンドのシーンは[ウェストサイド]のダイナミック性に対して敢えて動きの少ない中で主人公の二人の気持ちをセリフではなく映像で表現していると感じました。

リトラルの紹介

H249月「風景スケッチの制作・販売」と[ビジネスセミナー実施を事業内容に個人事業としてリトラルを開業しました。

・リトラルは個人で活動しHPで紹介 する無店舗形態です。

・このHPでは私が風景スケッチした 場所のガイドとセミナーの基本メニュー概略をPDFダウンロードで提供します。

[littoral]はフランス語で[海岸の]という意味の形容詞です。

メールアドレス kooogata@eos.ocn.ne.jp

     代表 尾形耕太郎
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